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ポートマフィアには三つの掟があり、
首領の命令には絶対に従うこと。
組織を裏切らないこと。
受けた攻撃は必ずそれ以上にして返すこと。
この順番はそのまま重要度の順番でもある。
ほんの5階建てだと前もっての調べで判っていたが、
そこは最近のビルヂングで一階一階の高さがあるうえ、
本来は様々なテナントが入る雑居ビルなせいか、
オープンスペースという格好で踊り場が広くとられており。
吹き抜けとまではいかないが、それでも結構な空洞状態の
階段スペースやリフトスペースがダクト代わりになっているものか、
階下の火元から最上階までを 時折熱波を孕んだ突風が勢いよく吹き上がって来る。
無防備に吸い込めば喉に炎症が起きるだろうそれ、
薄目になりつつ口許は腕で庇ってやり過ごし、
真っ当な明かりはいよいよ落ちているようだが、焔の照り返しで仄かに明るい中を
虎視を生かして見回しつつ、最上階まで上がってゆく敦で。
“………中也さん。”
大切な想い人であるポートマフィアの五大幹部様と、
其方も若くして首領直下の遊撃隊を率いる上級幹部の芥川とへ
首領から下知があった任務というのが何なのか、
詳細までもを訊いてはないし今更訊く気もない敦であり。
それは何もこたびに限ったことじゃあなくて。
中也の側とて訊いても教えはしなかろうし、
それが鏖殺系統の代物だったとしたら
まだちょっと割り切りは難しいなと思うわだかまりが、
わずかながら意識の端にある敦だからだ。
“ボクの異能だってその気になりさえすれば…。”
人の命を絶つことが容易な種の、それは恐ろしい代物ではある。
それに、例えばどれほど性善説を唱えても、どんな命も公平だと思いたくとも、
更生の機会まで摘んではならぬという考え方をしたくとも、
ああこやつはもはや生かす値打ちはないなと思うほどに身勝手で残虐で、
そうしなければ自分が死ぬのだというよなギリギリの選択なんかじゃあなくの
例えば快楽や倦怠から、何人も無辜の人間を殺めたような相手を 何で助けるのかと問われたら、
自分へさえ納得させられるような答えは出せないと思うけれど。
“……。”
もしかしたら考えを改めるかもしれない、
自身の犯した非業を後悔する将来があるかもしれないと、
どこぞの啓蒙団体のスローガンじゃあないけれど
そんなちっぽけな可能性を信じたいと思ってしまうから?
“……それは そうはない、かも。”
そう、社会や世間の実態を知れば知るほど、
そんな主張や正道は現実にはあり得ぬと、
愚かな幻想の極みであるのだと思い知らされもするけれど。
容疑者のほうこそ ギリギリまで理不尽な境遇に耐えて耐えた末の強行で、
いっそ現場でハチの巣にしてほしくての暴走だったりもするのだけれど。
それでも殺すこと死なすことはいけないと、何かが胸の内で叫ぶから。
自分の手を汚したくないのではなくて、
そんなのを肯定しちゃあいけないと、簡単に諦めちゃあいけないと、
負けを認めるようで癪だと、心が悲鳴を上げるから。
人を殺すのはダメだと思いつつ、
“……けど。”
そうしなくては命がつなげぬとか、裏社会のトップとしての面子が立たぬとか。
はたまた 生かしちゃおけぬ “社会的害悪な輩”を特定の存在から闇へ葬れと依頼されたりとか。
闇の世界には独特の法やしきたりがあって、様々なしがらみがあって。
その手で命を摘み取るという、誰にだって出来ようことじゃあない仕儀、
請負いもするのがそのまま 畏怖の礎、所謂 威容となっているのがマフィアなのでもあって。
次はこうはいかないぜなんていう単なる威嚇や脅迫を越えた仕置き、
遺恨を抱いた復讐者さえ生み出さぬ、
生存者ゼロという凄惨な鏖殺が “仕事”や “任務”となっている “彼ら”なのであり。
悪人を裁くための正規の部署へ訴え出ればどうのこうのといった
平和ボケしたことしか言えぬ自分には、
どう気張っても納得のいく意見は出来ぬまま
情けなくも口を噤んでいるばかりなのが現状かと。
しかも
中原中也という男は、それを相手や誰かのせいにはしない。
首領からの命令だからとか、
罪深い手合いだからとか、誰ぞに言われて断り切れずにとか、
他者の思惑や物差しで動いているわけではないと。
確かに指令あっての所業であっても、
手を下すべく最後の処断をしたのは自身だと、
総てをその背で負っている、強靱で真っ直ぐな男だから。
“それを制したければ、ボクも覚悟を決めなきゃならない。”
たんっと、その足が辿り着いて踏みしめた最終階。
此処もやはり熱波が膨張せんばかりに立ち込める悲惨な現場で、
炎そのものはまだ遠いが 足元から吹き上げてくる灼熱にさんざ煽られ炙られたか、
内装材やベンチ代わりに置かれたソファーが焦げたり煤けたりしていて、
元は磨かれていたのだろ回廊のあちこちに
焼け落ちた何かか雑多な塵芥が見苦しいほどごそごそと落ちている。
轟々と逆巻く炎の唸りや延焼中の建材がはぜる音などが耳鳴りのように間断なく渦巻き、
人の気配、それも片やはおそらくは息をひそめているのだろうそれを拾うのは
やや難儀かしらと思われたが、
「…っ。」
1つ1つ、ドアノブやバーを手にしては息を詰めて緊張しつつ開けて来た扉の幾つめか、
何か見つけなきゃいけない作業だというのに、
内心ではそれへ反して、何も飛び出してこないことを望んで開いたそこで、
目を凝らした先、探し物が視野の中にあるのを、虎の視覚が手を伸ばすよな勢いで確認している。
写真では 少し酔ってでもいたものか ややぼやけた笑い方をしていた壮年男性。
日頃はもうちょっと見目好く撫でつけているのだろ髪を振り乱し、
大きな執務用のデスクの陰に怯えた様子でへたり込んでおり。
そんな彼ともう一つ、人の気配を拾った敦は、
「……っ!」
確認する間も惜しいとのほぼ条件反射、そのまま床を蹴るとその身を躍らせ、
がっちりした造りのデスク前、両腕を開いて横っ飛びに飛び出した。
そんな彼の身へ容赦なく飛んできたのは、
少し奥まったところに据えてあった応接セットの一点だろう、
肘掛椅子とセットのオットマンらしきスツールで。
重厚な作りに見合った重さがあったの、胸板で受け止めたものの、
息が詰まりそうになったそんな衝撃などまだ何とか耐えられる。
それより重くて痛い声が、廊下で逆巻く炎の唸りも押しのけて敦の耳へと届けられた。
「いつかはこうなることだって予測にあった。そうだろう? 敦。」
何がどうというのは省略されており、
きっと事情なぞ判らぬだろう、彼の標的、支社長だろう壮年に訊かせるのも業腹だったからか、
それとも、くどくど言っても始まらないと、もう覚悟は動かぬ彼だからか。
「中也さん…。」
漆黒の衣紋をまとう彼なのに、
薄闇の中、その存在感の重きが凄絶な覇気と共に印象付けられる。
どんなぼんやりした人物であれ、
そこに立つそれは凶暴な猛禽類の眼差しを前に素通りなんて出来なかろうと。
そうまで怜悧にして厳然とした佇まいでいる、
任務にあたる彼のそれは冷徹な一面を、そういえば初めて直に見た敦でもあって。
切れ長の双眸は、色濃い蒼はそのままに切り裂くような鋭さで研ぎ澄まされており。
その目許をやや眇めるよう伏せ、唸るように低められた声が冷ややかに残酷な文言を紡ぐ。
「しかも。俺も手前も妙に頑迷だからなぁ。」
嗚呼、そうだ。
それが敦からの 例えば懇願や哀訴であっても、一旦通すと決めた意をそうそう覆す男ではない。
だが、敦の側もそうそう流されはしないということ、
ちゃんと知っていてのその強かな笑みは狡いだろうと、正直思った。
対等な構えという最上の気構えを孕んだ、惚れ惚れするよな男くさい貌。
ただ愛され庇護される甘い至福とは完全に別物なそれ、
身震いしたくなるような誇らしさを突き付けられては
今更 取り縋って止めることは適わぬというもの。
「その上。困ったことには、俺には異能がある。
それも さして力を込めずとも人を殺められる、格好の力がな。」
凄まじい反動がその手へ返る拳銃や、肉や骨を裂き砕くには相応の膂力が要る刃物と違い、
壮絶な制御鍛錬を為した末とはいえ、
自在に、それこそ鼻歌混じりに人ひとり、いやさ何十人でも押しつぶして殺せる異能だ。
それを制御するためか、それともそれが使えない状況へのためにか、
みっちりと鍛え上げられた肢体を強かな意思と共に真っ直ぐ伸ばし、
あちこちが焼け落ちつつある壮絶な様相のこの修羅場にすっくと立つ彼は、
そんな肩書を知らねば正義の味方といっても通りそうな威容をたたえており。
「それを手前の頭越しに使やあ、あっという間に鳬はつくが、さあどうするね。」
こうまで底意地の悪い男だよと言わんばかり、
もしかしてこの場で彼自身からさえ愛想を尽かさせるつもりか、
今更そんな悪態をつく彼で。
どうしてそんな風に持ってゆくのだ。
どうして見限らせようとするのだ、関わらせまいとするのだと、敦の顔が辛さに歪む。
まだ子供みたいな自分には そうそう奥行きのある想いまで酌めはしない。
ここで引けば中也の侠気を立ててやることに通じる?
そんな事をしたって後悔するのは目に見えてるのに、みすみす離れてやったりなんか出来るものか。
「だから……、…っ。」
文字通りその身へ食らいついてもやらせはしないと、
こっちの意地を口にしかかった敦だが、そんな彼の声を行動を制すように、
不意に何かに腰辺りを叩かれた。
立っていた足元が前へずれたほどの強さ、勢いのある何がぶつかってきたような。
だが、そうまで大きなものなぞ、
自分を力づくで突き飛ばして行ったにしては前方には何も見当たらず。
何だ?と思ったのとほぼ同時、
熱湯を浴びせられたような猛烈な熱さと、
強烈なひりつく痛みが脾腹から背条へ伝わり、
途轍もない激痛へ育ってその場に立っていられなくなる。
「な…。」
焼けるように痛い横腹を両手で抑え込めば、ぬるりと濡れた感触がして。
膝をついてしまったまま、激痛に押し伏せられ立ち上がれないでいる敦へ、
向かい合っていた中也もまた、括目し、呆然としており。
だが、何が起こったのかは判っているらしく、その表情は動かない。
毅然としていた堅いそれが、ふっと温度を失くして冷たいそれになったのへ、
“…中也さん?”
敦もまた何かを予感し、その背にいやな汗が伝う。
そんな彼らの立つ位置からやや外れた背後から、抑揚のおかしい出鱈目な声が立った。
「あ、あんた、ポートマフィアの人なんだろう?」
敦が楯になって後背にしていた男が滑稽なほど裏返った声を出す。
初めて人を撃ったわけじゃあないのだろうに、素人のようにがくがくと震えているらしく、
その震えにより揺さぶられているらしい、粗悪なそれらしき拳銃のカチカチと立てる音も届くほど。
そう、選りにもよって敦に庇われていながら、その彼を背後から撃ったのであり。
「そこの探偵社の狗は私が始末する。だから、このビルから逃がしてくれ。」
なあ、あんたも判っているんだろう? 私なぞただのお飾りだ。
報告係みたいな、さして権限もない支社長だ。
私を人質にしたって本国の組織へのダメージもさほどありゃあしないよ?
それより逃がしちゃくれまいか、出口までを誘導してくれればその後は自分で逃げられる。
ああそうだ。何ならここのデータもやるよ。
この支社の金や薬の出入りのデータをコピーしたものだ。
今日のシノギ(収支)を記したばかりな最新更新だから値打ちはあるぞ。
「い、いけない…。」
恐らく彼は、この対峙の構図を見て、
不始末をしたとの咎で抹殺されんとしていた自分だが、
下手に警察に捕まえさせ、あれこれ吐かされるよりは逃がす方がマシと、
目の前のマフィアも思ってくれるのじゃあないかと、勝手な取引を持ち出しているらしく。
そしてそんな勝手な思い込みからの この所業に、
中也がどう怒かるかへ想いが及んだ敦は 先程以上に顔から血がひく思いがし。
先程まで以上に振り絞るような声で、
かつりかつりとゆっくり歩いてくる存在へ懇願の声と眸を向けたが、
「いい子だ敦、大人しくしてな。」
通り過ぎざま さりげなく頭へ手を置き、
油煙と汗とでべっとり湿った敦の髪をさらりと撫でる。
それは優しい扱いへ、だからこそのこと ぞっとした。
少年が撃たれたというこの運びにより、もしやして相手への弑逆に報復的な意味合いが加算されたなら?
この自分が加勢したことになる。中也の背を押したことになってしまう。
それこそ敦が案じる順番ではないと誰もが言うだろうが、
それでも、この人の手を余計な罪で染めさせたくはないと思っての、説得であり抵抗だったのに…。
「ちゅうや、さんっ!」
声を荒げたその拍子、脾腹がずくんと引きちぎれそうに痛んで身が強張る。
引き留めようにも振り返ることさえ出来ず、
手を伸ばせばまだ届く兄人へその手を伸ばせないジレンマが腹を焼く。
なんでどうしてこうなっている
中也の怒りが説き伏せられないものへと昇華してしまった今、どうして自分は動けない?
こんなのいやだ、こんなのだめだ
嗚呼でももはや声さえ塞がれた。
大きく見張った双眸に込み上げるものがあって視界が歪む。
泣いてちゃ何の解決にもならぬのに。
「ちゅ……っ!」
身がちぎれても構うものかと、その身を返し。
歯を食いしばり、飛びついてでも引き倒してでも中也の足を留めんと
萎えかかる脚を踏ん張りかけた敦だったが、
「ちょっと待ったぁ。」
to be continued. (18.04.28.〜)
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*緊迫の修羅場です。
書きながら手に汗握ってました。
早く進まないかと思いつつ、でもでもここの心情は雑に書いてはならないし、
じりじりしつつのやっと半分ほどかなぁ。
此処からの急展開こそが書きたかったんです、はい♪

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